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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)8023号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 松井一彦

右同 中川徹也

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 菅沼政男

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

二  被告は、原告に対し、左の各金員の支払をせよ。

1昭和五五年一月一五日から右明渡しずみに至るまで一ヶ月金五万五〇〇〇円の割合による金員。

2金一〇万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年八月一日から支払ずみに至るまで年一割の割合による金員。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、被告の負担とする。

五  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

2  被告は、原告に対し、左の各金員の支払をせよ。

(一) 昭和五五年一月一五日から右明渡しずみに至るまで一ヶ月金六万円の割合による金員。

(二) 金一五万円及びこれに対する昭和五四年八月一日から支払ずみに至るまで、年一割の割合による金員。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  昭和四九年当時、原告と被告との間には、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)につき、左の(1)、(2)(ア)の内容の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)が存在し、その後左記(2)(イ)のとおり賃料の改訂があって今日に至っているが、被告は以来今日までこれを占有使用している。

(1) 期間の定めなし

(2)(ア) 賃料は一か月金三万円で、前月末日に翌月分を前払する。

(イ) 右賃料は、昭和五〇年一二月一日以降一か月金五万円に増額された。

2(一)(1) 原告は、被告に対し、昭和五四年七月一四日到達の内容証明郵便をもって、右契約の解約申入れをした。

(2) よって、本件賃貸借は、右申入れの日から六か月を経過した昭和五五年一月一四日に終了した。

(3) 仮に右の日の本件賃貸借契約終了が認められないとしても、本件訴えの提起により、原告の被告に対する解約告知はその後も黙示的・継続的になされているものとみるべきであるから、後記のとおり、昭和五五年三月二八日に被告が本件建物から転居した後の昭和五五年三月末日から六か月を経過した同年九月末日に本件賃貸借契約は終了したものである。

(二) 右解約の申入れには、次のような正当事由がある。

(1) 原告側の事情

(ア) 原告(明治四二年八月五日生)は、現在、本件建物を占有使用する被告と壁一枚を隔てたその接続部分に一人住いをしている者であるが、既に七〇歳を超える高齢であって、持病の高血圧症もあるうえ、老齢による物忘れがひどくなり、電気・ガスの消し忘れ、鍵のかけ忘れ等が多く、一人住いでは不慮の災害の発生が懸念されるとともに、万が一の危急の際の近隣の協力が年々不可欠となりつつある。しかるに、原告の住いの周辺は、一帯が畑であって、隣接する家としては、本件建物しかなく、そこに居住する被告以外には頼る人はいない。ところが同人と原告とは、後記のように、一〇年来の訴訟等のため、互いに反目し合っており、到底頼みの綱になってくれるような間柄にはない。

(イ) そこで三鷹市に居住する長男甲野夏夫(以下「長男夏夫」という。)がこれをみかねて、いままでは小学校六年生の娘を学校の帰途原告方へ立ち寄らせたり、寝泊りさせてくれていたが、この娘もいよいよ進学期にさしかかって教育上の扱いに難しい段階に達している等の事情から、もはやいつまでもこれに期待できそうもない。

(ウ) ところで長男夏夫の家族は、親子五人であって、夫が小学校の教員、妻が保育園の保母として勤務しており、八畳・六畳・三畳の三間の借家住いをしているが、中学三年生、小学六年生及び同一年生の三人の子供達が成長したこともあって、右の借家生活では、極めて手狭になってきているうえ、右借家の家屋は、昭和一七年に建築され、既に老朽化した建物であるが、家主も手をつけずにその朽廃を待っている状況であって、地震・台風による倒壊の危険もあり、早期の立退きを迫られている。

(エ) 原告側の事情は、以上のような状況であって、原告は、その年齢の点からいっても健康の点からいっても、長男夏夫の家族と同居する必要がある。しかし、右のとおり、原告において長年住み馴れ近隣に知合いも多い今の住いを離れて長男夏夫の住む借家に転居し、同人一家と同居することは極めて困難であるから、長男夏夫一家を本件建物に居住させて、老後を暮すことこそ今や最良の解決策というべきである。このように原告側における本件建物の自己使用の必要性は極めて切実である。

(2) 被告側の事情

(ア) 被告は、昭和四一年に本件建物で読売新聞の販売店を始め、以来今日まで十有余年を経過したが、当初は本件建物に居住し、また店員二、三名を二階に住み込ませ、本件建物の南側の縁を張り出したり、その上に波板を張ったりして、新聞紙の仕分けの作業場とする工夫をこらすなどして、新聞販売業を経営してきたもので、本件建物が、文字どおり、被告一家の生活の場であり仕事場でもあった。

(イ)(A) ところが被告の新聞販売業は、年々順調に発展して経済的な余力も十分となり、昭和四九年九月ころには、本件建物から北東に約五、六〇〇メートルしか離れていない調布市《番地省略》の交通至便の場所に、土地・建物(宅地二五〇・三四平方メートル、建物床面積約九四・七四平方メートルの平家建共同住宅)を購入取得してここを従業員の宿舎とするに至り、以後本件建物には被告の家族だけが居住していた。

(B) また、次いで被告は、昭和五五年、二月二五日、本件建物から西約五、六〇〇メートルの調布市《番地省略》の場所に土地・建物(宅地二三一・四〇平方メートル・建物木造瓦葺二階建居宅一階七四・四五平方メートル、二階二三・一〇平方メートル)を購入取得し、同年三月二八日家族とともにここに転居し、一たん無人となった本件建物には、現在では新たに若い店員三名が住み込むに至っている。

(ウ) ところで、被告が購入した右各建物の敷地部分は、いずれも本件建物に比して余裕があり、配達が中心となる新聞販売等の特性を考えると、同敷地部分に作業場程度の建物を建てることは極めて容易であり、本件建物の作業場としての役割は、全くなくなったといってよく、また、交通至便の点特に前記平家建共同住宅が中央分離帯のある幹線道路のすぐ北側にあることをも考慮すると、右の敷地部分に作業場を作ることの方がむしろ便利であるといえ、販売所の場所的移転が営業に及ぼす影響はほとんど皆無と考えられる。

(3) 被告の背信行為

(ア) 昭和四三年末ごろ、それまで同居していた被告の母が同居しなくなってからは、早朝・深夜の喧噪、自動車・自転車の通路への放置等被告の粗暴傍若無人ぶりが目につくほか、特に下水の使用方法が乱暴で、吸込み部分をつまらせ、そのため汚水が床下にあふれ、しかもその状態を長期間放置したため悪臭がひどく、原告が業者に依頼して清掃や下水管の取替をしたが、なおもこれを詰まらせ、原告のしばしばの注意も無視する有様であった。

また、昭和四五年春には、被告は新車購入の際、原告の印を勝手に偽造して車庫証明を取得し、これを問題にした原告に対し、小馬鹿にして嘲笑する態度を示すばかりであったため、思いあぐねた原告は、右の各点を理由に、本件建物の明渡しを求める訴訟を、立川簡易裁判所へ提起したことがあった程である。しかし、右訴訟は、原告の敗訴となった。

(イ) ところが、昭和四七年に、原告が右訴訟に敗訴したこともあって、被告はますます高圧的態度を示し、原告に無断で二階の柱や壁を勝手にペンキで塗装するなどし、また、原告と顔を合わせると、「お前の顔なんか見たくない。」と侮辱的な言葉を投げて反目を続け、昭和五二年一二月からの賃料増額の交渉においても、被告は、「何を」「ばばあ」などと罵倒したり、賃料増額や風呂場・台所の土台の修理を申し入れても頭ごなしにこれを拒否するばかりで、その言動は目に余るものがあった。

(4) 原・被告の信頼関係の喪失

(ア) 他方原告は、昭和四八年一月、被告の居住部分との隔絶を思い立ち、本件建物の南側に、波形プラスチック製の塀を、東側一部に窓の目隠を、北側に波形プラスチックの塀を設置するなどし、双互の反目を避けようとしてみたが、被告は、日照通風の妨害としてこの排除訴訟及び仮処分の申請をし、同年七月原告が仮処分決定に従って任意に目隠し及び南側塀の高さを若干低くしたが、被告は、なおもその全面撤去を求めて争った。しかし、結局右の塀等による通風・採光、換気の影響は、特に生活環境に及ぼすほどの阻害はないとの鑑定が出たため、被告は、昭和五一年五月訴えを取り下げた。このように、今や原告と被告との信頼関係は破局に近い。

(イ) また、原告は、被告が賃料増額請求に頭から応じようとしないため、昭和四九年二月に賃料増額の訴えを提起し、二年余を経た昭和五一年五月になって和解が成立し、ようやく昭和四七年一二月から一か月当り金四万円、同四八年一二月から一か月当り金四万五〇〇〇円、同五〇年一二月から一か月当り金五万円とすることとなった。しかし、後記の如く、その後の家賃増額の請求には応じない。

(5) 明渡しの交渉

本件訴訟係属後、本件は調停に付されたが、昭和五四年一一月二六日から同五五年九月一一日まで前後一〇回にわたり開かれた本件の調停期日中において、原告は金二〇〇万円を立退料として提示したが、被告は本件建物等の売渡しを要求し続けるのみであったばかりでなく、調停委員や裁判官からの出頭の求めにもかかわらず、一度しか期日に出頭しないなどの不誠実さであった。そのため右の調停は不調となった。

3(一)  原告は、被告に対し、昭和五二年九月八日発信の普通郵便により、賃料を同年一二月一日から一か月当り金五万五〇〇〇円に増額する旨の、また、同五三年一一月一五日発信の内容証明郵便により、同年一二月一日から一か月当り金六万円に増額する旨の各意思表示をしたところ、右各郵便は、それぞれ、右各発信日の翌日ころ被告に到達した。

(二) 原告の右各増額要求は、いずれも正当であるから、右各意思表示の到達により、それぞれその効力を生じたものである。よって、被告は、原告に対し、原告の右各要求に応じた支払をすべきものであるのに、被告は、増額前の賃料として、一か月当り金五万円を支払ったのみであるから、昭和五四年八月末日までの未払賃料額は、合計金一五万円に達する。

(三) 更に、前記原告の解約申入れによる解約発効の日である昭和五五年一月一四日の翌日たる昭和五五年一月一五日以降(または同年九月末日の翌日たる昭和五五年一〇月一日以降)における本件建物の賃料相当損害金は、一か月当り金六万円が相当である。

4  よって、原告は、被告に対し、本件賃貸借契約の終了に基づく原状回復義務の履行として、本件建物の明渡し、並びに賃貸借契約が終了した昭和五五年一月一四日の翌日である同年同月一五日以降右明渡しずみまで一か月につき金六万円の割合による賃料相当損害金(仮に右の昭和五五年一月一四日の賃貸借契約の終了が認められない場合には、昭和五五年一月一五日以降昭和五五年九月末日の賃貸借終了までは右同額の割合による賃料及び予備的な賃貸借終了の日である同年同月同日の翌日である同年一〇月一日以降右明渡しずみまで右同額の割合による賃料相当損害金)の支払を求めるとともに、本件賃貸借契約に伴う賃料増額請求権の行使に基づき、前記金一五万円とこれに対する各支払期を経過した後である昭和五四年八月一日から支払ずみまで借家法七条二項但書所定の年一割の割合による利息金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は全部認める。

2  請求原因2の事実について

同2の(一)(1)の事実は認める。同2の(一)(2)及び(3)の事実は否認する。同(二)(1)の事実は不知、同(2)(ア)の事実のうち、被告が読売新聞の販売店をして現在に至っていることは認めるが、その余の事実は否認する。同(2)(イ)の事実のうち、原告主張(A)における被告が経済的余力も十分となったこと、被告の家族だけが居住していたことは否認し、その余の事実及び同(B)における事実は認める。同(2)(ウ)の事実は否認する。同(3)(ア)及び(イ)の事実のうち、原告がその主張の訴訟を立川簡易裁判所に提起し、昭和四七年に原告敗訴の判決が確定したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(4)(ア)の事実のうち、被告が原告主張の塀を撤去すべく仮処分の申請をし、これが認容されたこと、被告において訴えを取り下げたことは認め、その余の事実は否認する。同(イ)の事実のうち、被告が原告の賃料増額請求に頭から応じようとしない点は否認し、その余の事実は認める。同(5)の事実のうち、被告が不誠実であることを否認し、その余の事実は認める。

3  請求原因3の事実について

同3の事実のうち、原告が昭和五三年一一月一五日に発信した同年一二月一日から賃料を一か月当り金六万円に増額する旨の意思表示の内容証明郵便がその翌日ころ被告に到達したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  請求原因4について

同4の主張を争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  (明渡請求について)

原告が被告に対し、昭和五四年七月一四日到達の内容証明郵便をもって本件賃貸借契約を解約する旨申し入れたことは当事者間に争いがない。

そこで、右申入れに正当事由が存するか否かについて判断する。

三  ところで、原告が立川簡易裁判所に対し、本件建物の明渡しを求める訴えを提起したこと、昭和四七年に原告敗訴の判決が確定したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右の事件において原告は、本訴請求原因2、(二)、(3)、(ア)において述べるとおりの主張をしたところ、立川簡易裁判所は、おおむね右の原告主張事実を認定しながら、なお、右主張を基礎とする本件賃貸借契約の解除又は右契約の正当事由に基づく更新拒絶に関する原告の主張をいずれも採用しなかったことが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。そこで、まず、本件においては、その後における双方の事情を中心に、正当事由の有無を検討することとする。

《証拠省略》を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1  原告は、これまで長年にわたり、肩書現住所において長女アキ夫婦やその子供達四人と同居して生活してきたところ昭和五四年三月、アキが夫の転勤に伴って家族ともども千葉県市原市に引っ越してから後、最近は、本件建物の東側に接着して昭和四九年に建てられた一階四二・六四平方メートル、二階三三・九五平方メートルの部分に一人暮しをして今日に至っている。

2  原告は、明治四二年八月五日生れの七一才で、年とともに階段の上り下りが苦痛になってきており、また、ガスの元栓を締め忘れるなど老化に伴う記憶力の低下等いわゆる老化現象からのがれきれない年齢となっているが、何にもまして、一人暮しの日常からする種々の不安を除去したい心境にある。

3  もっとも、長女アキとその家族が転出した直後のころから、三鷹市吉祥寺に住む長男夏夫の娘が、小学校への通学の帰途、時々立ち寄ることがあったほか、長男夏夫自身も仕事の帰途時折りは原告方に立ち寄って、原告の様子をみたり、慰めたりしてきた。しかし、子供達の成長に伴い、その回数も漸減するに及んで、原告としては、是非とも長男夏夫一家と同居したいと思うに至った。

4  長男夏夫の家族は、教員である夫、保母である妻の夫婦と高校生、中学生、小学三年生の三人の子供をあわせて五人であるから、右の家族が原告方において同居し生活を共にすることともなれば、現在の原告方の原告居住部分だけでは三人の子供達の今後の成長を考慮すると、手狭に傾き、到底ゆとりがあるとはいい難く、(もっとも、現在の住宅事情に照らして考えると、前記程度の現在原告が住む家屋に、原告及び長男夏夫一家併せて六名が、無理をすれば当面は同居できないでもないとする余地がなくはないであろうが、しかしこのようにして同居してみた場合における原告及び長男夏夫一家と被告との間の反目、確執は、後記認定のその経緯にかんがみると、以後一層その度を増すばかりか、従前にも増した新たな軋轢を生じ、更に子供達の生長に伴い、一両年にして住居の狭隘にも困惑するに至るであろうことがたやすく予見できる。)また、原告が、右の長男夏夫方に住むとしても、後にも触れるとおり、同人の住いは、八畳、六畳、三畳の古い借家であって、原告が同居しなくても、なお、手狭であることは否定できない。

5  他方、被告が賃借した本件建物は、六畳二間、四畳半二間、八畳一間に台所、玄関、浴室があり、被告は、本件建物を賃借して以来、家族とともに右建物に居住し、同所において、読売新聞の販売店を経営し、一貫してその事業を促進してきたが、後記のように、事業は順調に発展し、拡大して、収益も増加している。

6  新聞販売業は、朝刊の早朝配達があるため、その配達の時間帯を逸することのないよう、至近の距離に住む従業員の確保が不可欠であるが、この従業員確保のためには、時に宿舎の用意することも必要であるほか、新聞紙を速かに配達先へ届けるための区分作業をする場所も必要である。ところで、

(一)  従業員の確保について、被告は、当初本件建物に三・四名の従業員を同居させていたが、次第に経営規模が拡大するにつれて、昭和四九年九月には、同じ町内に建坪九四・七四平方メートルのアパート用の建物(四畳半三室、六畳二室)を敷地(面積二五〇・三四平方メートル)付きで購入し、これに常時四、五名の従業員を住まわせるほか他にもそのためのアパートを借りていた。次いで昭和五五年二月には、同じ町内に自宅用の建物(建坪九七・五五平方メートル)を敷地(面積二三一・四〇平方メートル)付きで購入し、同年三月二八日には、原告がその家族とともに右建物に転居したため、本件建物には、大学生である三名の住込み従業員が寝泊りするだけで、他に居住する者はない状況となり、今や被告の住居でないことはもちろん、他の数名の従業員さえも前記被告購入の建物や付近のアパート等に居住する有様となっている。

(二)  また、右作業場の確保については、被告は、従前から、本件建物の南側の廊下の板目部分を主として利用し、これに三、四尺の濡縁式の板張りを拡張させて作業場として使ってきたもので、新聞販売店の作業場は、一般に、比較的簡易、かつ、小規模な設備と面積をもって足りることが窺える。

以上のとおり認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない(右認定の事実につき、被告が読売新聞の販売店を経営して現在に至っていること、被告の新聞販売業が年々順調に発展したこと、被告が昭和四九年九月のころ原告主張の土地・建物を購入し、従業員の宿舎としたこと、また、次いで昭和五五年二月二五日、原告主張の土地・建物を購入し、同年三月二八日家族とともにここに転居し、一たん無人となった本件建物には現在では新たに若い店員三名が住み込むに至っていることは当事者間に争いがない。)。

7  以上認定の事実関係からすれば、被告の営む新聞販売店の作業場の確保については、その規模の点からしても、また、経済的出捐の点からみても、本件建物と同町内にある被告購入の前記土地・建物のいずれかあるいは両者の一部を多少改良すれば、十分本件建物における作業場の代替的機能を発揮させることができるものといえ、また、宿舎の確保については、本件建物が二階建で、前記のとおり、かなり広いものであるのにかかわらず、他の従業員は前記の被告購入の建物や民間のアパートに住んでいて、本件建物には、大学生である僅か三名の従業員を住まわせているだけであるが、これらいわゆる学生たる従業員の生活及び住居の定着性は一般に低いとみられることを考えると、その必要性は極めて薄弱な現状となっているものといわなければならない。これに比較し、原告は、前認定のとおり、高齢の域に達し、現在別居中の長男夏夫の家族と共に生活すべき必要性及びその切実さは極めて高く、更に前掲各証拠を総合すれば、長男夏夫が現在住んでいる家屋は、前認定のとおりの状況にあり、現在将来とも手狭であるばかりか老朽化していて早晩立退きは必定であることが認められ、右認定を左右すべき証拠もないのであるから、原告が本件建物を使用する必要に迫られている度合は、被告のそれに比して一層高いものがあるというべきである。

8  しかも、昭和五四年一一月二六日を第一回期日として昭和五五年九月一一日まで前後一〇回にわたり開かれた本件の調停期日中において、被告は一度しか期日に出頭せず、本件建物等の売渡しを要求し続けるのみであったため、右調停は不調となったことは当事者間に争いがなく、更に前掲各証拠によれば、本件建物の賃料増額交渉以前から繰り返されてきた、昭和四六年ごろから現在に至る原・被告間のあれこれの反目抗争に基づく積年の確執は、今もって何ら解消されてはおらず、原・被告間には抜き難い不信感が鬱積していること、更に、現在本件建物を利用している被告の従業員三名は、若い独身の学生で、隣に住む独り暮しの老人の日常に心を配ったり、その立場に思いを至すなどのことに程遠く、深夜にかかわらず大きな物音を立てたり、レコードを大きな音で流したりの騒々しく無作法な日々をすごし、原告のひんしゅくをかっていることが認められ、右認定を左右すべき証拠もない点をも併せ考えると、本件賃貸借契約における原・被告の信頼関係は、もはや喪われているか、あるいは少くとも破綻寸前の危機に瀕していて、程なくして信頼関係の喪失に至ることは、いわば自明のこととみるほかなく、(近い将来これが回復されると判断できるような資料は、本件のどこにも見当たらない。)そうしてみると、被告を、長男夏夫の家族に代置できる隣人とするに足りるものでないことは多言を要しないところである。

9  以上までに認定、説示したところによれば、本件における原告の被告に対する本件賃貸借契約解除の申入れについては、原告主張の昭和五五年一月一四日における右契約の終了を肯認するについてはなおその正当事由に十分でないものがあるとみる余地があるから、この点の原告の主張はこれを採用できないが、その後被告において本件建物での居住生活を廃した昭和五五年三月二八日の後である同月末日には、正当な事由を具備するに至ったものと認めるのが相当であり、その後右の事情に変動があったことを窺うに足りる資料は何もない。

したがって、本件賃貸借契約は右正当事由を具備したときから六か月を経過した昭和五五年九月末日限り終了したものであり、被告は、右賃貸借契約の終了に基づく原状回復のため、原告に対して本件建物を明け渡す義務がある。

四  (金員請求について)

《証拠省略》によれば、昭和五二年九月ころ及び昭和五三年一一月ころ、原告が、その主張のとおり、被告に対して賃料の増額を請求する旨の意思表示をし、右意思表示はそのころいずれも被告に到達したことを認めることができる(ただし、昭和五三年一一月一五日の翌日ころ、被告に右の意思表示が到達したことは、当事者間に争いがない)。

そこで右の増額請求の当否について検討する。

まず、原告の主張によれば、右昭和五二年一二月以降分の増額の意思表示は、従前の増額の時期である昭和五〇年一二月から二年間据置かれた後のものであり、また、昭和五三年一二月以降分の増額の意思表示は、右の増額が未だ実現しないうちに、原告において、昭和五三年一一月ごろに再度これをしたというものである。ところで、右の昭和五二年一二月以降の増額は、二年間据置後毎月当り金五〇〇〇円であるが、当裁判所に顕著な事実であるこの二年間の諸物価指数及び公租公課の上昇を併せ考えれば、右の増額請求は、これを正当として是認することができ、他方昭和五三年一二月以降分の増額請求は、増加額こそ前同様の金五〇〇〇円ではあるが、それがそれ以前の増額請求との間に一か年の経過しかなく、かつ、前回の二年間据置後増加額が前記のとおり金五〇〇〇円であることを考えると、直ちにこれを正当として是認し難いところである(もっとも、右の時点での正当な増額率なるものも観念的には考えられないではないけれども、これを具体的に明らかにするに足りる資料は存しない。)。

以上によれば、原告の右各増額請求については、昭和五二年一二月一日から一か月当りの賃料を金五万五〇〇〇円とする限度において正当であり、被告は、右増額後の賃料(及び前記本件賃貸借契約終了後は、本件建物明渡しずみまでの右同額の賃料相当損害金)を支払うべき義務があるものというべきところ、被告が、同月一日以降昭和五四年八月末日まで一か月当り金五万円の賃料を支払っていることは原告の自陳するところであるから、被告において原告に対し支払うべき右両者の差額は、昭和五四年八月末日までに合計金一〇万五〇〇〇円である。

五  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、本件建物の明渡し及び昭和五五年一月一五日から右明渡しずみまで一か月金五万五〇〇〇円の割合による賃料及び賃料相当損害金(前認定の賃貸借契約の終了までは賃料、その翌日以降は賃料相当損害金)の支払並びに差額賃料金一〇万五〇〇〇円及びこれに対する弁済期の経過後である昭和五四年八月一日から支払ずみまで借家法七条二項但書所定年一割の割合による利息金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仙田富士夫 裁判官 生田治郎 裁判官髙部眞規子は、職務代行を解かれたので、署名押印することができない。裁判長裁判官 仙田富士夫)

〈以下省略〉

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